現社長の高久幸夫が高校2年生(17歳)にして父親が病に倒れ、一家の収入が激変し母と当時13歳の弟の生活を支える立場となり高校を中退することを決意。中学時代は野球部のエースとして出場する傍ら、その脚力を買われ陸上界にもスカウトされNHK放送陸上栃木地区予選に出場。高校進学時は栃木の野球強豪校「宇都宮学園(現文星芸大付属高等学校」にスカウトされ野球部では硬式から軟式に転向するも全国大会に出場。強肩強打でセンターのレギュラーポジションと2番手投手を獲得するほどのスポーツ万能少年だった。
当時は農家だったが僅かな収入を補うべく、高校中退後すぐ地元の肥料問屋へ就職し農家に肥料を販売する営業活動を経験する。毎日1件1件泥だらけになりながら、田畑へ出向くが20歳に満たない若造からはそう簡単には買ってくれず、営業活動の現実を体感する。
幸夫23歳、美枝子21歳で結婚。この結婚を機に人一倍の負けん気と責任感に後押しされ、母親からなけなしのお金を借りて中古の4tトラック1台を購入。現在でもお取引を頂いている総合リサイクル企業 関口商事株式会社の配送を任された。
そして1977年8月、幸夫は、妻 美枝子と27歳の若さで「高久運輸有限会社」を設立。幸夫は自らハンドルを握り、美枝子は4歳の長女と生まれたばかりの長男の二人の子供を抱きかかえながら、必死で留守中の事務所を守った。縫製が得意で洋服やジーンズなどオリジナル製品をつくれるほどの腕前。業務ミシンを購入し、業として服の製造を志したこともあったが、時は運送需要の真っただ中。自宅が事務所の為、いつしか事務業に携わらざるを得ない状況になっていた。携帯電話の無い時代。ドライバーとの連絡のやり取りは、いつどの場所から掛かってくるか分からない公衆電話からのベルを待つしかなかった。運送の経験もない美枝子は、お仕事を頂く感謝の気持ちでお客様からの問い合わせに、ただひたすら必死で応答した。
その後もたくさんの温かいお客様に恵まれ、自社倉庫を建築するなど、運送だけではなく付随したサービスを提供できるようになった。現在まで一進一退を繰り返すも、ご愛顧いただくお客様に支えられ設立から32年が過ぎた。 経営理念である「お客さまに安心を・・・」という想いや、お客様は勿論の事、支えてくれる従業員や協力会社も大切にしたいというポリシーは、30余年にわたる様々な局面を乗り越えてきた結論である。
そして創業から33年目の2010年、 株式会社高久運輸は既存の法人サービスに加えカスタマーサービスを付加し、新たな第一歩を歩み始める。



